謎が解ける2冊の翻訳絵本『OUTSIDE OVER THERE』

市内の図書館に行ったとき、私が持っている英語の絵本『OUTSIDE OVER THERE』by Maurice Sendakの訳者が異なる日本語版2冊を見つけました。

好きな作家さんの絵本だし、日本語版の2冊のうち1冊は読んだことがあったのですが、読み比べをしたいと思って、日本語版を2冊とも借りました。

2冊の日本語版、何が違う?

まどのそとのそのまたむこう』(Amazonリンク)
モーリス センダック (著, イラスト), わき あきこ (翻訳)
出版社 ‏ : ‎ 福音館書店

父さんがかえる日まで』(Amazonリンク)
モーリス・センダック (著, イラスト), アーサー・ビナード (翻訳)
出版社 ‏ : ‎ 偕成社

こちらが原書
OUTSIDE OVER THERE』(Amazonリンク)
Maurice Sendak (著)
出版社 ‏ : ‎ Red Fox

タイトルが違う

真っ先に目が行くのは、タイトル。
『OUTSIDE OVER THERE』の日本語版、2冊のタイトルは

『まどのそとのそのまたむこう』
『父さんがかえる日まで』

日本語訳1冊目は英語をそのまま訳したようなタイトルで、2冊目は絵本のストーリーからつけたようなタイトルになっています。

訳者が違う

『まどのそとのそのまたむこう』の訳者は「わき あきこ」、
『父さんがかえる日まで』の訳者は「アーサー・ビナード」です。

Wikipediaによると、アーサー・ビナードさんはアメリカ人で、

日本語に興味を持ち、1990年6月に単身渡日。日本語学校で教材として使用されている小熊秀雄の童話『焼かれた魚』を渡日後に英訳したことをきっかけに、日本語で詩作、翻訳を始める

ウィキペディア アーサー・ビナードより引用(参照日:2024/11/6)

と説明がありました。

出版年と出版社が違う

『まどのそとのそのまたむこう』は1983年に初版第1刷が発行されました。
今は2024年なので、41年前に初版が出たということになります。2006年で第10刷まで発行されています。
出版社は福音館書店です。

『父さんがかえる日まで』は2019年に初版第1刷が発行されました。今から4年前。
出版社は偕成社です。

2冊の日本語訳の違い

子供部屋
私は専門家ではなく、個人的に感じたことを書いているだけです。それを前提でお楽しみください。

お母さんはどうしたのか?

この絵本の最初のシーンは、お父さんが船で海へ出て行くところから始まります。

When Papa was away at sea,

Maurice Sendak. (1981) Outside over there. HarperTrophy. p.1

最初の見開きページ左の文章です。
お母さん、女の子(アイダ)、赤ちゃんが船を見送っているシーンが描かれています。

次のページをめくると、

and Mama in the arbor,

Maurice Sendak. (1981) Outside over there. HarperTrophy. p.3

見開きページ左に書かれている文章が上の通り。
そしてアイダに抱っこされた赤ちゃんが泣いて、お母さんが庭のベンチに腰掛けているイラストがあります。

このページにある”arbor”ですが、意味を調べると「あずまや、木陰の休み場所」「ツタなどの木が巻き付けるように、高木で造った建物、または格子状に枠を組んだ物」(英辞郎 on the WEB 「arborとは」より引用 参照日:2024.11.6)と書かれています。

『まどのそとのそのまたむこう』ではこの箇所は

ママは おにわの あずまや。

Maurice Sendak.(1981) Outside over there. HarperTrophy.(わき あきこ訳(1983). まどのそとのそのまたむこう 偕成社 p.3)

と訳されています。

「あずまや」って何?

念のため日本語でも調べてみると、あずまや(東屋)とは「庭園などに設けた四方の柱と屋根だけの休息所」(weblio辞書 デジタル大辞泉 「東屋の意味・解説」より引用 参照日:2024.11.6)なのだそう。

絵本のイラストでは、お母さんがツタの絡まった「あずまや」に座り、無表情で遠くの海をじっと見つめています。

英辞郎 on the WEBで調べた”arbor”の意味「ツタなどの木が巻き付けるように、高木で造った建物、または格子状に枠を組んだ物」がピッタリ当てはまります。

行間を埋めるような日本語訳

『父さんがかえる日まで』では、同じ箇所の訳が違っていて次のようになっています。

母さんは じっと とおくを 見つめながら
父さんの かえりを まちます。

Maurice Sendak.(1981) Outside over there. HarperTrophy.(アーサー・ビナード訳(2019). 父さんがかえる日まで 福音館書店 p.3)

こちらの方が、私はしっくりきました。なぜならお母さんは子どもを見つめるでもなく、むしろ子どもに背を向けたまま、無表情でじっと遠くの海を見つめているからです。

『まどのそとのそのまたむこう』の「ママは おにわの あずまや」という言葉と、お母さんの表情が不思議のギャップが大きくて違和感がありました。

ラストにお父さんからの手紙

ラストから3ページ目で、お母さんがお父さんからの手紙を手にしています。
次のページでお母さんはアイダの肩に手を置いて、一緒に手紙を読んでいるようなイラストがあります。

母と娘アイダが隣り合わせになるシーンは、お父さんを見送った最初の見開きページから2度目。2人とも手紙に目線を落とし、どこか安堵した雰囲気が漂っています。

その手紙は主に娘のアイダに宛てて書かれています。そこもちょっと不思議に思いました。お母さんのさみしそうな表情と「あずまや」に座り、ずっと海を見つめている姿から、お父さんからの手紙を一番心待ちにしているのはお母さんのように感じられるからです。

それなのに、手紙はアイダに向けて「お母さんと子どもを見ててね」という内容。2冊の翻訳は、手紙の文章表現は異なりますが、受ける印象はほぼ同じでした。

お父さんが留守の間

海
お父さんが船で海へ出た時から、お母さんは子どもたち(アイダと赤ちゃん)と向き合っていないように感じられます。それはきっとお母さんが最初と最後だけ登場し、いずれも「あずまや」に座ってお父さんの帰りを待つ姿しか描かれていないからだと思います。

アイダが赤ちゃんをあやすシーンで、赤ちゃんに背を向けてホルンを吹いていました。赤ちゃんを見ていなかったから、知らぬまに赤ちゃんはゴブリンにさらわれてしまうのでした。

『まどのそとのそのまたむこう』を読んだ時、原書を読んだ時と同様、イラストと文章にギャップがあり、モヤモヤしました。イラストはさみしげ、または意味ありげな表情が描かれているのに、文章はさらっとした表現や、意味不明な箇所があったからです。(*モーリスセンダックの絵本はそういうのが多いですね^^)

『父さんがかえる日まで』を読んで、そのモヤモヤが晴れました。
『まどのそとのそのまたむこう』の行間を埋めるような文章でお父さん不在のさみしさが伝わり、お母さんの沈んだ表情に納得がいきます。
なぜアイダが赤ちゃんに背を向けてホルンを吹いていたのかも、わかった気がしました。さみしさを隠すために、背を向けていたのだと思います。
赤ちゃんがずっと泣いてばかりだったは、お母さんとアイダのさみしい気持ち、不安な気持ちが伝わっていたからかもしれません。

さらにお母さんはもしかしたら病気なのかも?心が弱っているのかも?と想像が膨らみます。だからお父さんがアイダを頼りにしているのかもしれません。アイダが赤ちゃんを救いに出るときに、お母さんのレインコートを着るシーンは、彼女がお母さん代わりになってがんばっていることの象徴なのでは?とも思えます。

どっちが好き?

じゃあどっちの翻訳が好き?と聞かれると、困りますね。

『まどのそとのそのまたむこう』は、淡々とリズムのある文章が流れ、お母さんとアイダのさびしさが表面には表れません。そのため文章とイラストが乖離しているような感じがして「ちょっと不思議な絵本」という印象が強く残ります。

原書は誰が読んでも明快な文章とは言い難いと思うので、『まどのそとのそのまたむこう』は原書に忠実な翻訳といえるかもしれません。

その不思議さを楽しんだ後『父さんがかえる日まで』を読んで、謎めいたストーリーを紐解くと楽しいと思います。

私のおすすめは、英語版と日本語版の2冊、合計3冊を読むことです(笑)。読み比べると「あれ?ここはこういう意味なのかな?」と深読みできそうです。図書館でこれらの本を見つけたら、ぜひ読んでみてください。

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