TOEICや英検に、多読は有効なのか?12年多読をしてきた私が感じたことをまとめます。
過去記事を整理していたら、TOEICと多読の記事を見つけました。書いたのは2007年。あれから10年も経ってしまったのですね。
このブログは、ずっと以前から続けているブログの中から多読に関わる記事だけを移転したものですが、おそらく多くの人が関心のあるTOEIC。そして多読はTOEICにどんな影響を及ぼすかについても、関心のある人は少ないかもしれませんがいると思います。
そのTOEICと多読の関連記事がまだ一つだけというのも寂しいので、今までのことを振り返りつつ、2005年から多読をしている私が、今到達している心境について書きたいと思います。
多読をしたらTOEICのスコアが上がったか?
私のことだけについていうと、多読をしたからといってTOEICのスコアが伸びたりはしませんでした。理由はいくつかあります。
これはあくまで私のケースであることを始めにお断りしておきますね。
私の多読が即TOEICスコアにつながらない理由
まずは多読はTOEICのように、設問に対する答えを導くという目的で英文を読むのではなく、娯楽としてストーリーを楽しむ目的であるからだと思います。
別の言い方をすれば、試験対策を意識した読み方をしていたら、TOEICのスコアに良い影響を与えるのではないかと思います。私の多読は、完全に娯楽として楽しんでいました。
次に時間。多読は時間制限がありません。どんなにゆっくり読もうが速読しようが、自分の思うように読めばいいのです。けれどもTOEICは時間に制限があり、1問あたり何秒、何分以内という具合に、一定時間内に解答しなくてはなりません。そこが大きく違うために、多読したからといって即それがTOEICのスコアにつながるわけではありません。
別の言い方をすれば、TOEICを意識して1分間に何ワード以上読むと決めて読むと、TOEICスコアに良い影響を与えるかもしれません。私はもともと日本語も読むのが遅いので、TOEICで要求されるようなスピードで読むことは、普段あまり意識して訓練はしていませんでした。
あと一つは多読量。私は2017年6月の時点で読んだ語数は730万語です。カウントしていない読み物もあるので、実際読んだのはもっとあるかもしれませんが、読み聞かせで読む絵本や仕事で読む英語サイトや雑誌・新聞記事などは数えていません。
私はこの量でも、TOEICで成果を出すにはまだ少なすぎると感じています。もともとの言語能力というか、言語を習得する能力も大きく影響しているかもしれないので、個人差は大きいと思います。私の場合は、日本語の習得もまともに読み書きや理解ができるようになったのが、大人になってから、しかもかなりのいい歳になってからだったので、もともと言語を習得する能力は低かったと思います。
大きな理由はこの3つです。1.英文をどのような意識で読むか、2.時間を意識して読むか、3.多読の量 です。
試験慣れしているかしていないかも、影響しているでしょうね。私は試験が苦手で、時間がなくなってくると必要以上に焦ってパニクって撃沈ということが多いです。多少試験勉強しても、こればかりはキャラクターというのか、なかなか試験慣れできません。
では多読はやっても英語を習得するためには非効率的なのか?
試験だけがすべてと考えるなら、非効率的といえるかもしれません。これも人によりけりなのかもしれません。でも私は試験だけが英語力を測るツールだとは思いませんし、真のコミュニケーション力は、試験の点数やスコアでは表せない部分も多いと思います。
もともとは英語アレルギーで、かたくなに英語学習を拒否していた私が、今人前でわりと平気で英語の絵本の読み聞かせができるまでになれたのは、多読のおかげだと思います。
英語で話す機会がほとんどない日常でも、毎日英語を聞いたり独り言を言ったり、英語を話せる人と会ったときには英語を話したりできるのは、多読を継続しているからだと思います。
また未熟ではありますが、多読で培った英語感覚や英単語の理解度は、いわゆる勉強や辞書からだけでは身につけられないものだと思っています。
多読で毎日英語に触れることに意味がある
毎日英語を読んだり聞いたりして過ごしていると、外で英語に触れる機会がなくても英語が遠い存在にはなりません。確かに英語環境で暮らしているのとは全然違います。けれども「もう英語を何年口にしていないかしら?」ということにはなりませんでした。
かつて英語環境で仕事をしていた私が、仕事を辞めて英語から完全に離れた時期が5年近くあり、一旦私の英語は完全に錆び付いて動かなくなった機械のようでした。その後多読に出会いましたが、多読を始めてからは生活上英語の必要性にせまられたことがないにも関わらず、あの5年のブランクがあったときのような錆びは感じませんでした。
多読は力不足を教えてくれる
でも実は、錆びを防いだのは多読だけではありませんでした。とっさに英語を話さなければならないシーンでは、多読だけでは太刀打ちできないことを経験しました。その悔しい思いをバネにして、あえて英語を話す機会を作るようにしました。人前での英語絵本の読み聞かせや、家で英語を聞いたり、機会があれば英語で話す時間もたくさん設けました。
つまり、多読だけでは上手く働かない脳の言語習得機能が、話すまたは書くというアウトプットの機会を設けたり、インプットでも多読のように目からだけではなく、多聴など耳からのインプットも取り入れることで、上手い具合に習得につながっていくように感じます。
多読をしていると英語を読んでわかる自分が認識できるのだけれど、いざ話すというときには対応しきれずに、読む力とのギャップを嫌というほど感じさせてくれます。力の足りていないところを教えてくれるのが多読のような気がします。
偏らない練習と読むことの重要性
英語を話せるようになりたいからといって、話す練習だけしても話せるようにはならないでしょう。会話文の暗記だけで、本当の意味で話せるようになるわけがありません。だって自分が話したいことを話せるようになるためには、語彙力が必要だし単語の組み立て方(文法)やリスニング力も必要でしょ。だから話せるようになるためには、読んで聞いて書いて。それもやって初めて話す練習に深みが出てくるし、力もついてくると思います。
一つ例をあげます。多読をしていると、覚える気が無くても新しい言葉をいつのまにか覚えて蓄積されていきます。「なんだかわからないけど、いつの間にか知っていた単語やフレーズ」というのがあるのです。英語を話す場面で、その「いつのまにか知っていた単語やフレーズ」を、無意識にフレーズを口にしているときがたまにあります。頭の回転がその無意識に出る言葉の速さに追いつかないので、「ん?今私、何て言ったんだろう?」と思い、もう一度言ってみて、「あー、こう言ったのね」という具合です。
英語で考えようが日本語で考えようが、意識的に頭の中で文章を作ってから話すとなると、やはり遅くなってしまいます。無意識に出る言葉は、ときにヒヤリとすることがあります。自分で何と言うか考える前に口から飛び出すのですから。でも後で辞書で調べると、大概間違いではないのです。これが不思議な多読の底力なのかなと感じます。
ところで私が英語を勉強している人々に会って話した感触ですが、英語がそこそこできても「毎日英語で読書を楽しんでいるよ」という人に会ったことは、あまりありません。ほとんどは正攻法といわれる勉強法で、試験をモチベーションにして試験対策をしながら単語やフレーズや文法を覚えていくという人が多いと思います。
確かにそれはそれで確実にTOEICスコアや検定合格には近づけますし、英語を話せるようにもなると思います。でもどこかそうして身につけた英語って、お勉強的な英語だったりして。ナチュラルな英語ではないというか。いかにも「日本人が話す英語」の域から脱しきれていない。そんな気もするのですが、いかがでしょう。
潜在的な語彙力や表現力*をもっと上げていくためにも、読むこともきちんとしていったほうがいいと思います。そういう意味でも、多読をする意味は大いにあると思っています。
「潜在的な語威力や表現力」という言葉について、少し解説を加えます。自分ではまだ使えないけれど読んだら意味がわかる言葉は読書をすることによって増えていきます。そのうちに意識していなくてもとっさに使える言葉として飛び出す可能性を秘めた語彙力・表現力という意味で使いました。
多読はやり方次第で変わる
私のように多読をただ娯楽として継続しているだけだと、語彙が少しずつ増えていったり、英文を読んでから理解するまでのスピードが上がることはあっても、TOEICなどの試験に効果的!とまでは言えないように思います。
多読の副産物として、英語を聞きたい欲求や、話したい欲求、書きたい欲求が生まれます。まぁ、これは人によりけりかもしれませんが。
娯楽として英語の本を読むのではなく、TOEICや英検を意識してそれなりの読み方をすれば、狙った通りの成果が得られるかもしれませんね。
TOEICや英検などよりも、実際に英語を話したり書いたり読んだり聞いたりをもっとストレス無く、できれば自在にできるようになりたいというのであれば、多読は即効性はなくとも効果的であると言えるでしょう。
多読は英語学習再開のウォーミングアップにもなる
私の中では、多読は英語学習と言えるような、言えないような。
私は一旦英語学習をするのをやめてしまい、多読だけをしていました。それで何年か過ぎたとき、ちょうど出産して1年経ったぐらいから、英検を受けてみようと思いました。毎日赤ちゃんのおむつを替えてご飯を食べさせてお昼寝させて・・・という毎日に退屈していたのかもしれません。
子どもを抱っこしながら、試験勉強をしました。やったことは具体的には過去問です。いざ始めようとなったときに、普段から英語を読んでいただけでもかなり違いました。子どもが1歳のときに準1級に合格しました。親が子育ての応援に来てくれる環境にもなかったので、勉強時間は1日30分まで。自宅で仕事もしていたので、それ以上はどうしても時間が割けなかったのです。
実際、準1級はそれほどハードルが高いわけでもなく(といったら失礼かしら?でも決して簡単ではありませんけれど)、英語を使って生活している環境ではなくとも、またしっかり英語学習ができている環境ではなくとも、趣味で英語の本をチンタラ読んでいさえすれば、そんなにガツガツ勉強しなくても合格できるレベルにあると思います。もしかすると「そんな簡単ではない!」という意見があるとすれば、私がそう感じていることが多読の成果といえるのかもしれません。
今の一節は、読む人にとっては嫌味な書き方で不快に感じた方がいらしたかもしれません。それはお詫びしたいと思います。私が伝えたかったことは、毎日英語を娯楽として読んでいても「毎日楽しみながら読む」ことには、意外とすごい力があることをわかってもらいたかったのです。
英語に自信がない人にこそ、届けたいメッセージ
私は元英語の落ちこぼれで要領も悪く、言語習得能力も並よりも低いので、そんな私が試験対策しかしていなかったら、いくら勉強しても合格できなかったかもしれません。そんな私でも、英検準1級や、TOEIC(最近は受けていませんが)スコア855の自己ベストを持っているのは、多読のおかげであると感じています。
英語が得意で勉強すればするほど力が伸びていく人は多いと思います。けれども私はそういう類の人種ではなく、要領が悪く勉強してもちっとも成果が得られなかった経験があります。だからこんな私に似たような人に励みにしていただきたいなと思います。
あきらめないで楽しみながら英語と関わっていると、必ず浮上していきます!やり方はいろいろ。習得の速さもいろいろ。自分らしく英語を楽しんで。過去の自分と比べて、進歩があれば希望が持てます。
私は一時期、TOEICを定期的に受けて多読の成果を試していましたが、やってみてまだまだ多読量が足りていないと思ったので、TOEICはお休みしています。またそのうちに受験してみたいと思います。どうせなら最高峰をめざしたいですね。もちろん、試験が最終目的ではなく、自由自在にストレスなく英語を使えるようになるのが目指すところです。
多読量とTOEICスコアも、そのうちに明らかになるかもしれません。そのときはまたご報告します。