先日面白そうなタイトルの本を見つけたので、読んでみました。その本のタイトルは・・・
娘に英語で話し続けたら、2歳で英語がペラペラになった。
その本のタイトルは『娘に英語で話し続けたら、2歳で英語がペラペラになった。』です。混じりっ気なし、100%日本人の両親のもとに生まれてきた子どもを、日本語は当然のこと英語もペラペラレベルに育て上げましたというケースを、最近目にするようになって来ました。
何をもってペラペラというのかですが、私が知っているケースではほぼネイティブ並です。本当にネイティブ並かと言われると、実際同年代の英語を母国語とする子どもと比べると少し違うのかもしれません。でも両親が日本人で日本語を母国語とし、日本語環境の保育園へ行き、両親の片方が日本語100%であるということを考えると、この本に書かれているケース、私は注目しています。
どうやったら英語がペラペラになったの?
まずは「どうやったら?」”HOW?”というところでしょう。私も始めはそういう気持ちで本を開きました。
著者である子どものお父さんは子どもが生まれたときに、自分は子どもには英語しか話さないと決めたそうです。それから3年、根気よく子どもに英語で通してきたそうです。
私が思ったことは1.日本語を使わないなんて相当固い決意だな、ということと2.父親だからできたんだろうという2点。2番目の「父親だから」というのは、母親は赤ちゃんの時には四六時中一緒にいるし、その中でわが子に英語のみで話しかけるなんて、そんなの無理があるんじゃない?と思ったのです。だから母親ほど接する時間が多くない父親ならできるかな、と考えたのです。
でも落ち着いて考えてみると、「2.父親だからできた」と考えるのはありがちかもしれないけれど、著者の本意からズレているのかもと思い直しました。そして読み進めるうちに、やっぱりズレていたことがわかりました。
母国語は勉強して身につくものではない
この本で芯になっている部分は、1.英語を母国語として身につけさせることと、2.必要性を感じさせることだと私は理解しました。そしてその2点がすべてだと思いました。あとの記述は枝葉部分になると思います。
母国語はどのように習得するのか
母国語を習得する過程を考えてみると、文字を読んだり字を書いて覚えたり文法の勉強をするのはずっと後です。まずはその言語を聞き、真似し、徐々に言葉を発するようになり、意思疎通ができるようになってきます。その段階まできても、まだまだ親は子どもの言っていることが理解できなかったりして、意思疎通は楽とはいえないのが普通です。
大体就学前にひらがなを覚えはじめ、小学校へ入学すると読み書きの勉強が本格的に始まります。それでもまだまだ文法や辞書を使った勉強はしません。
この本は、子どもが3歳になるまでの記録です。ですから英語の勉強的なことは一切せず、日本語と同じように子どもは英語の単語を聞いて覚えて理解することからスタートしています。英語を外国語としてではなく、母国語として子どもに与える工夫をしていました。
そのためにはまず、親自身が今までの意識を捨てて、英語を母国語として接することを決心しなくてはなりません。つまり読んだり聞いたりは日本語を介さないで理解するようにします。英語を発するときには文法がどうのとか、考えないようにします。日本語を介するかわりに、イメージを浮かべるようにします。
親がまずそのような認識で英語に接することを決めなければ、子どもには英語だけで話しかけるということはできないかもしれません。
補足です。著者は子どもに英語の意味を説明することはしていなかったそうです。まぁ、考えてみれば日本語の語彙すらない状態なので、言葉で説明しようにもできない場面は多々あったと思います。それでもゆっくりではありますが、理解していったようです。「いつのまにわかったの?」という場面がたくさんあったようですが、その部分はブラックボックス。まさに言葉を獲得していく過程の神秘ですね。そういう意味では著者の子どもは狙ったとおり、英語を母国語として獲得していったと思われます。
必要性は絶対必要
子どもが言語を習得するのは、必要性を感じるからだと思います。話せないと自分の意思が相手に伝わらない、聞けないと相手の言うことが理解できないと無意識下で思う(=必要性を感じる)から、言葉を覚えていくのではないでしょうか。必要性のないものを、赤ちゃん・子どもが進んで習得するでしょうか。生きていくために必要なものだから、ものすごいスピードで習得していくように思います。
それが無くても生きていける、つまり自分に必要のないものとわかっていても、勉強しようと思えるのは「大人」です。だから子どもが英語なんて無くても、家庭の中で何不自由なく暮らせると感じてしまったら、母国語を習得するようにどんどん吸収していくことはないのだろうなと思います。
そこに気がついたとき、私はわが子には英語の必要性を伝えていなかったなと思いました。そもそもバイリンガルに育て上げるつもりはなかったので、失敗したなどとは思いませんでしたが、この点に気がついていたらもう少し違っていたかもしれないなとは思いました。
私の懸念 日本語環境が強くなるとどうなる?
この本を読む前に懸念していたことがあります。子どもへの英語教育についてアンテナを張っていると、幼児期の英語教育の成功例や失敗例をたくさん見聞きします。その中で感じていたのは、就学前の子どもは英語を習得するのが比較的簡単だということ。英語環境の幼稚園に子どもを入れたりすると、ほぼ確実に子どもは英語を話し始めます。家庭内で両親が日本語しか話さなくてもです。
そのままインターナショナルスクールに子どもを入れて、英語環境を維持できればいいですが、そうではなく地元の小学校へ入れると次第に英語を話さなくなったという例を多く聞きます。日本語が強くなり、子ども自身も日本語の能力のほうが勝ってくると、労力を使う英語を使いたくなくなるだろうし、何よりも英語を使う必要性がなくなると、自然と使わなくなるでしょう。
だからこの本を読み始めたとき、著者の考えがとても気になりました。最後まで読んで見て、著者の考えを知ったときになるほどと納得がいき、多くの例と同じ道はたどらなさそうだと感じました。著者の子どもは奥さんの職場併設の普通(日本語)の保育園へ通っていたようです。だから保育園に入って子どもの世界が広がると同時に、日本語環境が増えたそうです。
実際いろいろな変化があったでしょうが、結果として家で片方の親とのコミュニケーションに英語が必要であると子どもが認識していたので、英語を使い続けたとのことです。ここでもやはり必要性は重要だと思いました。
そして日本語をある程度習得してしまってからではなく、日本語と同時に英語も習得したということが、日本語環境が強くなっても子どもに英語を使い続けようとさせる力にもなっていると感じました。
大人の英語学習にも役立ちそう
この本は、実は子どもへの英語教育だけをテーマとしたものではなく、大人の英語学習への問題提起というか、勉強が上手く進まない方にとっては、とても参考になる内容です。
私は学生時代、学校の英語の授業についていけなくて、英語落ちこぼれでした。社会人になってからも、英語の勉強は上手くいかず、なかなか成果が出せずにいました。ところが偶然にも英語の多読というものを知り、私の英語に対する姿勢がガラリと変わってしまいました。
この本を読んで私が最も驚いたことは、「母国語として英語を習得する」という考え方は、まさに私が多読を通じてしてきたことに、極めて近かったことでした。だから書いている内容が実感を持って理解できました。日本語に訳さないで、日本語を介さないでイメージでわかるということも経験しているので、わかりやすかったです。
残念なことに、その最も重要な部分はどんな言葉を並べても、わかりにくく伝わりにくいのだと思います。本当にもったいない話なのですが、まさにそこが核心であるにも関わらず、多くの人の心に思ったほどは響かないのです。
とにかくやってみたら実感できると思うのです。本当に楽しくて、面白くて、英語が好きになると思います。何より英語を読んでいても聞いていても、疲れなくなります。