英語教育に関する意見あれこれ

昨日、行橋市のカルチャスクール、英会話教室の日でした。教室で一緒のある方が、私に先週も昨日も、面白い新聞記事を持ってきてくださいました。

その記事というのは、毎日新聞で連載している「勝間和代のクロストーク」というもの。先週に引き続き、今回も幼児英語教育について書いてありました。その中に英語の早期教育の是非についての、いろんな方の意見や経験談が紹介されていました。

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子どもの英語教育はまず耳から

共通した意見は、幼児の英語教育ではまず音から入るべきだということでした。英語の発音ルールとして、フォニックスがいいと書いていました。

「フォニックス」とは、音と文字の関係の規則性のことを言います。日本の子どもにフォニックスを教えるとすると、

  • a=ェア
  • b=ブ
  • c=ク
  • d=ドゥッ
  • e=エ
  • f=フ
  • g=グ
  • o=オ
  • となり、dogの発音は、

    dog=ドォッグ

    となるそうです。ふぅ・・・なんとややこしい。

    英語の発音 大人は子どもと同じやり方でいい?

    幼児の場合は、カタカナまだ知らないでしょうから、音で覚えるとすると、別にややこしくないのかもしれない。でも教えるのは大人であり、やっぱり大人はこれを覚えなきゃいけない。大人が見ると、フォニックスって非常に難しくないですか?

    これで発音矯正ができて、日本語英語とサヨナラできるといいますが、この規則を文字で覚えることが(見ることが)難しい。以前、図書館でフォニックスの本を借りたことありますが、あまり興味持てませんでした。理由は覚えるのが大変そうだったから。

    それなら私には、まだテキトーシャドーイングのほうが簡単。覚えることは何もありませんから。ただ真似るだけ。たくさん真似るうちに、なんとなく規則性が身についてくる。

    結局発音は、真似をすることから始まる

    私は自分の子どもにはフォニックスはしないと思います。理由は簡単。私が覚えきれないから。フォニックスがいいとは言うけれど、べつにしなくたって発音はそれなりになります。日本語英語にはならないです。少なくとも、子どものうちから英語を聞いたり真似たりしていたら、私よりはずっといい発音になるでしょう。私よりもいい発音だったら、全く問題ないです。

    英語の文法よりも、日本語の文法から

    ちょっと話が記事から逸れました。勝間さんの記事には、英語の文法のついて、書かれていました。英語の文法は、日本語の文法が身についた後がいいと。

    同感です。日本語の能力をしっかり身につけないまま、英語を学んだとしても、英語も日本語同様、中途半端になる。まず日本語でわかりやすい文章を作れなければ、英語でわかりやすく説明できないと書いてありました。全く同感です。

    私の率直な気持ちを言うと、日本人でわかりやすい日本語を操る人は意外と少ないです。何を言っているか的を得ないとか、話が整理されてないのですごくわかりにくいことは日常茶飯事です。そりゃまぁ、私の理解力不足もあるとは思いますが。

    日本語か英語の能力が、もう片方を引き上げてくれる

    自分自身のことを言うと、やっとなんとか人に伝わる文章が書けるようになったのは20代後半でした。それまで私は自分がわかりにくい文章を書いていることにすら、気づいていませんでした。

    気づいたのはなぜだと思います?昔、外資系企業で働いていたのですが、会社内では読み書きに加え会議も英語。入社間もないころ、英語で書いた私の報告書を見た上司に、「何を書いているのかさっぱりわからない」と言われました。非常にショックでした。泣きたい気持ち、腹立たしい気持ちを押さえて、どれどれ・・・と読み直すと、自分でも何を書いているのかわからない。笑えますね。

    これは英語だから気が付きやすかったのだと思います。日本語だと、上手い具合に曖昧な言葉で誤魔化す術を身につけたりして、こういう問題になかなか気が付きにくいのだと思います。それからです。自分がいかに独りよがりな文章を書き、考えを整理できずにいろんなことを混同して書いていたことを自覚しました。私の文章は、日本語でそれが顕著だったのです。そしてそのクセは、英語を書いても現れていたのです。

    このことに気が付いてからは、たくさん文章を書きました。会社で英語の文章を書くことが、当時は日本語よりも圧倒的に多かったために、英語で文章を書く訓練をしました。深く考えて情報をきちんと整理し、よりシンプルに表現するにはどんな言葉を使うべきかを、よーく考えるようになりました。

    そしてわかったことは、深く理解すれば、一見複雑なこともシンプルに表現できるということでした。つまりわかりやすく表現できるのです。するとたくさんの人に理解されます。

    それは英語でも日本語でも同じです。母国語でわかりやすい表現ができる能力を持っていれば、外国語でも同じことができます。だから母国語は大事なのです。

    人間は言葉があるから難しいことが考えられる

    ずっと前に、何かで「人は言語を獲得したときから、論理的で複雑なことを考えることができるようになる。」というような意味の文章を読んだことがあります。

    何か自分に一つ、自由に操れる言語があったほうがいいのです。それは、外国語を習得するうえで役に立つし、また自由に操れる言語を持っていないと、抽象的で高度なことを学ぶのが難しくなるのではないかと思います。

    身近な例を挙げれば、言語をまだ獲得していない赤ちゃんよりも、言葉を獲得し始めた子どもの知恵はぐんぐん伸びますね。そして言語を使って学習できるようになってくると、非常に高度で抽象的な概念も理解できるようになります。大学、大学院に進み、専門的な学問を学ぶのですね。

    専門用語は何のためにあるかというと、複雑あるいは抽象的な概念をシンプルに表現・理解することで、それらの概念を使ったより高度な思考を積み上げていくためですね。だから専門に勉強するためには専門用語は欠かせません。それがあるから難しくて複雑な理論も、格段に理解しやすくなるというわけです。

    実践なしに英語の上達はない

    新聞記事の内容に戻りますが、最後に日本の英語教育は、「実践の視点が欠けている」と書かれていました。私も本当にそう思います。だから私は実際、多読である程度の英語力を身につけました。多読は英語を実践で学ぶ方法です。

    「多読とは、英語を実践的に読む」ことです。英語の知識だけ(単語や文法だけ)を頭に入れても、それだけでは不十分(使えない)ということですね。

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